「覚悟を決めてここに来た」豊田 庄吾 | NPO法人コモンビート
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「覚悟を決めてここに来た」豊田 庄吾

「覚悟を決めてここに来た」豊田 庄吾

「自分の大切な人たちの為に何かさせてほしい」

「海士町(あまちょう)に友達が来てくれると、あぁ夏だったら良かったのに、晴れてたらもっと良かったのにって思ったりするけど、考えてみたら…冬でも雨降ってても、それって全部本当の海士町なんだよな」
2年前に、東京から島根県海士町に移住した豊田庄吾さんは空を見上げながら眩しそうに話す。
海士町は隠岐諸島の島前三島のひとつである、中の島に位置する。海と緑に囲まれた自然豊かな町だ。
彼は、人材育成会社で研修講師として働いた経験を生かし、海士町で町営の塾である隠岐國学習センターを立ち上げ、センター長を務めている。


「海士町は大人がとにかく元気なのが魅力。友人に頼まれ出前授業に来た時、島の大人が、どんな問題も自分たちでなんとかするっていう当事者意識の強さに共感して、移住を決心した」
しかし、移住した当初は「とにかく自分は鼻息が荒かった」と彼は話す。
移住して間もなく、彼にとって忘れない出来事が起こる。
ミュージカル『A COMMON BEAT』に参加していた経験から『島の祭りで踊ってはどうか?』との声に、すぐに応じようとした。
しかし彼は、上司から『島の8割の人は受け入れてくれると思う。でも2割の人は異文化を持ち込もうとしていると、君に反感をもつ。何か行動を起こすより、まずは島民に受け入れられる事が大事』とアドバイスを受け、祭りでのパフォーマンスをあきらめたという。
その出来事を振り返り、彼はこう語る。
「最初は、自分のキャリアップを強く望んでいたところがあって、焦りもあった。『何かしてあげたい』と上から目線だったのかも知れない。でも島で生活しているうちに、色々な人に支えられて自分の生活が成り立っている事に気が付いた。今は、自分の大切な人達の為に何かさせてほしいっていう気持ちでいる」
どこか外からの目線であった『何かしてあげたい』から、同じ島民として、島民を想う気持ちに変化していった。
「覚悟を決めてここに来た」豊田 庄吾

「自分は先生じゃない」

彼がセンター長を務める学習センターは、港からほど近い民家を借りて行っている。
『塾』という言葉から連想させる殺伐としたイメージからはかけ離れた、アットホームで心地よい雰囲気である。
センターで自習中の高校生ひとりひとりに声をかける彼は、とてもおおらかでそして柔らかい。
高校生は彼の事を『豊田さん』と呼ぶ。
世間一般的には、塾のスタッフを『先生』と呼ぶのだが…。
「自分は先生ではない。生徒と先生の関係は好きじゃない。高校生が何でも言いやすい近くて対等な関係を目指している」
センターでは、通常授業に加え毎週2回、『夢ゼミ』という画期的な試みが行われている。
夢ゼミでは、高校生が島での解決すべき問題と自分の将来の夢を繋げ語り、それを実現するための具体的な方法を同級生や地域の大人と一緒に考えていく。
自分の夢を、生き生きとした表情で自分の言葉ではっきりと語る高校生たち。
彼はそんな高校生たちを、温かい眼差しで見守り続ける。
「最初から、スムーズにいったわけではない。試行錯誤しながら毎週続けるうちに、高校生が少しずつ自分の夢を自信をもって話せるようになってきた。少しずつ理想に近づいている」
「幕末に吉田松陰が主宰した『松下村塾(しょうかそんじゅく)』という私塾があった。その塾の門下生の中には、その後歴史上で活躍した人物が非常に多い。自分は地域の将来や日本の未来をつくる人間をここから輩出したい。現代の松下村塾をつくるために、覚悟を決めてここに来た」
そして彼はこうも語る。
「島にとって島外に出る唯一の交通手段は船。
東京に行くのに移動で半日以上かかる。15時以降は本土行きの船がないから、夜は島から出る手段が何もない。冬場は海が時化(しけ)て、すぐに船が欠航する。そういった不便さが逆にこの地でやっていこうという覚悟をより一層強くしている」
彼の『覚悟』は、島の高校生と向き合って力ずくで何かを変えるというものではない。島の高校生と同じ方向を見つめ、彼らのありのままの良さと夢を叶える自信を引き出していく穏やかで自然体な『覚悟』だ。
彼自身も海士町で生きるひとりの大人としての『覚悟』がそこにあった。
『先生』としてではなく、高校生や島民たちとのつながりを通して彼自身も成長を目指す、彼ならではの離島オリジナルの学習センターは、これからもゆっくりと確実に『現代の松下村塾』に近づいていく。

豊田庄吾さん

豊田 庄吾(とよた しょうご)

ミュージカル『A COMMONBEAT』10期キャストとして初参加。12期ではキャスト兼スタッフで活躍。
人材育成会社で研修講師/出前授業講師を経て2009年11月に島根県隠岐諸島の島前三島のひとつである人口2400人の島、海士町に移住。高校連携型公立塾、隠岐國学習センターを立ち上げセンター長を務める。併せて「地域起業家/地域活性」に特化した高校のプログラムも開発中。現代版の松下村塾を目指している。