週末ボランティア体験記:片山貴世(ディラン)さん | NPO法人コモンビート
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週末ボランティア体験記:片山貴世(ディラン)さん

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「私、握力13しかないんですけど…大丈夫ですか?」
私のボランティアは、そんな質問から始まった。
生まれて27年、ボランティア活動というものをやったことがなかった私。
どちらかと言えば、これまで、「ボランティア」という言葉にはある種の抵抗を感じていたし、
自分には一生縁がないんじゃないかとも思っていた。


ただ、この8週連続ボランティアの企画が立ち上がったとき、
「一度は行ってみたい」と思ったのも事実で、
そう思ったからには、実際に行くしかない、と参加を決めた。
正直なところ、不安は大きかった。
この週末ボランティアで自分たちが担当するのは、もっとも体力が必要とされるクリーンの作業。
しかし、最初に書いたとおり、私には握力もなければ、体力もない。
「私なんかが行って、本当に役に立つんだろうか?」
そんな風に、何度も自問自答した。
「被災地の現実を受け入れられるのだろうか?」という不安もあった。
それでも、行くと決めて装備を揃え始めると、
「行くからには絶対役に立って来よう」と、覚悟めいた想いが芽生えてきた。
不思議なものである。
そんな風にして、やる気120%で迎えた初のボランティア。
一日目が終わって、自分の口をついて出た言葉は、「悔しい!!!」
その一言だった。本当に悔しかった。
ここでは、力がある人がヒーローになれる。
非力な自分は、本当にちっぽけだった。
こんなにも、体力がない、力がない自分を恨めしく思ったことはない。
ここに来るまでに色々と悩んでいたことが馬鹿みたいに思えた。
ボランティアがどうのとか、誰かの役に立っているかとか、そんなことはどうでもいい。
大事なのは、自分に任された仕事を責任をもって丁寧にやり遂げること。
自分自身で納得のいく働きをすること。ただそれだけ。
どこにいたって、当たり前のことだ。
「このままで終わりたくない。」
それが、ボランティアとして正しい姿勢なのかはわからないが、
そういう想いがあったからこそ、私は、被災地に再び足を運ぶことになった。
少なくとも私自身にとっては、「大正解」な決断だった。
結果として、二度ボランティアに参加してみて、今思うこと。
たしかに、力のある人はヒーローになれます。
でも、みんながみんな、力のある人である必要はない。
私みたいに力がなくたって、できることはたくさんある。
だって、そうでしょ?
ドラえもんだって、全員が出木杉君だったらつまらないのと同じ。
のび太がいて、ジャイアンがいて、スネ夫がいるからドラマが生まれる。
チームになって協力できる。
ありがたい事に、私は二回ともチームリーダーを経験させてもらって、
そんなことを思いました。
それから、自分自身の普段の生活についても。
「ある」のが当たり前の世界から、「ない」のが当たり前の世界に放り込まれると、
自分がいかに手を抜いて生活しているかがよくわかります。
あいさつ一つとっても、そう。
家族に、近所の人に、隣の席の人に、毎日、笑顔で元気なあいさつができているだろうか?
やればできるのにやっていないことって、実はすごくたくさんあるんじゃないだろうか?
大切にしたいことは、どこにいても、結局変わらない。
本当は、いろんなことがもっとシンプルなんだと思う。
「もっともっとシンプルに生きられる。シンプルに生きたい。」
いろんな場面で、そんな風に感じました。
私は、「こんな風に感じたから、おすすめします。」とは言いません。
参加して、何を感じるのも(感じないのも)、その人の自由だから。
ただ、行くことに意味があるのは間違いない。
この企画は8週間で終わるけれど、被災地への支援がそこで終わるわけじゃない。
本当に大事なのは、この先どう動くか。
そのヒントが、現地に行くことでたくさん見つかるはず。
すべては、「行きたい」を「行く」に変えることから始まると思う。