震災復興支援、少しづつ想いが形になっていく | NPO法人コモンビート
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震災復興支援、少しづつ想いが形になっていく

team 311
コモンビートの設立から7年目の2011年3月11日。
その日に震災が起こった。
 
「俺たちには何ができるのだろう」
 
僕らは災害救助を行うためのNPOでもなければ、物資を集められるわけでもない。
熱い大人が集まっているコモンビートだからできる事はなんだろう。
常にそれを必死に考えて来た。
 
そしてまず僕らが被災から1ヶ月間に始めたのが、メッセージボード
想いを届ける何かアクションがしたくて、メンバーに声をかけると、百人以上の人から集まった。
これは、僕らがこれまでに公演のパンフでやっている活動を被災地に届けようと試みた結果だった。
そのメッセージは、被災地に設置されている自動販売機でも表示されるようになった。
 
震災復興の活動を「チーム311」と名付けた。
コモンビートの設立日である3月11日に起きたこの出来事は、一生忘れることのできない記憶。
そして僕らは、コモンビートがこれまでに蓄えたお金の中から、311万円を使うということを決めた。
このお金は、公演が万が一、天災などで出来なかった保険の意味合いで持っていた貯金の一部。
僕らがこうして活動していられるのは、社会が元気であってこそ。
これまでお世話になってきたから、今こそ恩返しをする時。
そんなことを考えた。
全員、迷いはなかった。
 
その後、メンバーがピースボート経由で被災地に何人も入って手伝いを始めた。
当時はまだ、ボランティアが多く現地に行っていたのだが、GWが過ぎて、ボランティアの数がパッタリと止まった。
ボランティア参加には、①現地に行く手段、②ボランティア保険加入、そしてなにより現地の情報が必要だった。
僕らはピースボートからのメッセージも受け、この事態に何ができるかを考えた。
そして、バスを毎週被災地に出すことを決めた。
 「7月末の18期公演までの8週間、毎週40人を送る。」
 
そしてその参加費を無料にした。
想いさえあれば参加できる、ということを実現したかった。
そして、平日の昼間に社会福祉協会に出向いて取得しなければならないボランティア保険の手続きを代行することにした。
日中働いている人は、この手続きが困難だったからだ。
 
気持ちがあっても参加できない・・・現地への足と保険の2つを代行することで一般の人のボランティアに参加する人を増やしていくことができた。
ただその数も3週目までは集まらなかった。
でも、多くの人のおかげで、全週が満席となり、そして最後の週にはバスを1台追加し、
現地で僕らがパフォーマンスをすることができる関係にまでたどり着いた。
 
「僕ら、コモンビートに何ができるのか?」
 
そう考えるのは今でも何も変わっていない。
どうやったら長期で支援できるか?僕らが一番できることは何か?
何を考えても、必要とされているのは募金、そして泥かきや瓦礫撤去というのが現実。
少しづつ、街は復興されていく。
そしてその先に必要なことは、みんなで社会を復興させていく気力だったりパワーだったりする。
 
その気持ちは、やはり現地の人に持ってもらいたい。
僕らは永遠と現地に行き続けることはできないし、やっぱりその土地への想いこそが、復興への原動力となるはずだから。
「社会を湧かたい」そのコモンビートの理念を追求していくためにも、現地の人と長い時間をかけて関わっていきたい。
 
そんな気持ちが少しづつ形になってきた。
 
いまも少しづつ、長期にわたる活動としてできることが1つづつ増えてきた。
東北の人たちみんなが未来に勇気と希望を持って、社会を湧かせていく力を後押ししたい。
そんな想いを持ちながら一歩一歩、活動を前に進めている。
未来は切り開いているもの。
 
そして、いずれは東北で公演をしたい。