Keep on Challenging一周年企画 チャレンジのその後(後編) | NPO法人コモンビート
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Keep on Challenging一周年企画 チャレンジのその後(後編)

お陰様でKeep on Challengingは、6月で一周年を迎えました。
今回は、前回に引き続き一周年企画後編として、昨年10月~12月にインタビューした6人のその後と今の想いを本人達からのメッセージでお届けします。

「海が恋しい」浅野妃美子さん

2011年10月11日インタビュー掲載「すべてが最高のタイミング」
去年9月、インタビューを受けた後、ダイビングスクールでモルディブクルーズツアーに参加しました。
「マンタに会いたい」が夢で始めたダイビング。
ついに夢が叶いました。
モルディブの海は、想像以上に流れが強く、自分の脚力のなさにがっくりしましたが、マンタや魚に癒され、満足でした。
そしてそのツアーで、これから先のことを色々考えました。
ツアー中、一緒に参加していた人達と色々話す機会がありました。
色々な人と話すうちに、他のスクールを知らず、このスクールに入ってしまった私は、もっと私に合うスクールを探したい。どうせインストラクターを目指すなら『この人』と思うところで頑張りたいという想いが強くなり、コース途中でスクールを辞めました。
その後、他のスクールのオーナーと知り合い、そのスクールに誘って頂いていますが、現在は『A COMMON BEAT』20期プログラムにキャスト兼スタッフとして参加しているので、しばらく海には潜っていません。
海が恋しいから20期が終わったら潜りに行きます。
でも今後結婚も考えているし、コモンビートにも関わりたいので、インストラクターを目指すかどうかは、今は考えていません。
というわけで、『普通のブランクダイバー』です。今は…。

「今後は100キロマラソンやトライアスロンにも挑戦したい」中林信人さん

2011年10月20日インタビュー掲載「誇れるものは、今この瞬間の自分だけでいい」
この春に4回目の参加となるパラカップで、ハーフマラソンを走りました。毎回のことですが、マラソン大会は、やっぱり苦しいです。苦しいですが、僕は風を切って走っているときの自分が大好きです。そのときは確かに前に進んでいるから。行き詰りを感じたり、迷いがあるときには、走って前向きな自分を取り戻しています。今後はフルマラソンだけではなく、100キロマラソンやトライアスロンにも挑戦したいです。
去年このインタビューを受けた時に、ゲームの会社に就職したのですが、早いもので7ヶ月経ちました。とても苦しいときもありましたが、今は毎日楽しく仕事をしています。努力を続けていれば報われるのは、マラソンと同じですね。

「今までの経験が生きてる」岡本幸子さん

2011年11月10日インタビュー掲載「今、自分の中に残っているのはひとつの想い」
地方公務員という新しいスタートをきって早2ヶ月。多種多様な部署の中から配属されたのは、子どもに関わる部署。実は大学時代に国家試験を受けて保育士資格を取得したくらい子どもが大好きな私。保育園の運営サポートという形で日々子どもに関われている実感があり、いつもの如く人にも恵まれ、忙しくもやりがいを持って楽しんでいます。また、前職と全然違うことをやっているようですが、随所で今までの経験が生きていると実感しています。無駄なことってないんだなぁ。辛いとき、つい目の前のことから目をそらしてしまいたくなります。でも辛いときこそ目の前のことに一生懸命取り組むことが大切なんだと思いました。結局、自分の未来はそのひとつひとつの積み重ね以外のなにものでもないから。就職前に2ヵ月間で世界一周してきて気付いた自分の強み、それは『決めないこと』。いつでも、いかようにも動ける。それはきっと積み重ねがあるから。日々の小さなひとつひとつを積み重ねながら、『今だ!』という時に大きく動ける自分でいたい。これからの自分なんて、自分でもわかりません。だからこそ、自分が一番楽しみにしているのかもしれません。我が人生、乞うご期待。(書道は相変わらずマイペースに続けています)

「最高の舞台を創っていきたい」河合国広さん

2011年11月21日インタビュー掲載「一歩踏み出したい自分がいる」
インタビューを受けてから早半年。
あの時僕は「これからは表現活動をやっていきたい。それで飯を食えたらいいな」と言っていたかもしれません。
でも、あのインタビューから今までの間はいろんなことを学んだ日々でした。
パラカップコモンビート2012では、スタッフをやらせていただき、ディレクションやチームでのパフォーマンスを創り上げていく大変さを知り、『A COMMON BEAT』21期プログラムでは先行キャストをやらせていただき、体験会のために人を集め、体験会に参加した参加者が楽しめるために、満足するために注力をする。また、イベントバイトなどで、機材の搬入搬出なども今までやりました。
この半年間でやってきたことは、どれも僕がやりたかった輝かしい舞台ではなく、正反対の表舞台を陰で支える仕事。それはどれも大変な作業ですが、それがなければ表舞台で輝くことすらできない、本当に本当に大切な仕事です。今回はその大変さや、苦労を身をもって体験したことで、支えてくれている方たちに恥じないよう、これから自分が創る舞台は最高の舞台を創っていきたいと感じるようになりました。
自分の語る一言、創る舞台には何人もの人の想いがある。
その想いを余すところなく舞台を観にきてくれる方たちに伝わっていくように努力していきたいと思いました。
僕は今、8/24-25の『A COMMON BEAT』21期本公演に向け、今まで以上に最高の舞台を創っていけるように、そして支えてくださる方たちへの感謝を忘れず日々頑張っていきたいと思います。

「島のために日本のために頑張っていきたい」豊田庄吾さん

2011年12月13日インタビュー掲載「覚悟を決めてここに来た」
インタビューから半年。
海士町に移住してから2年半、自分たちの活動が少しずつカタチになってきました。
まず、関わっている生徒に関して。
一人ひとりが自分たちの強みを活かしながら進路選択しています。
島に戻って30歳で町長になると言っていた子は早稲田に合格し、島で隠れ家的なカフェをやりたいと言っていた子は、法政に進学しました。
(※過去、島の高校から早稲田を受験した子すら、いませんでした)
『将来自分がやりたいこと』と『自分の地域が活性化するために出来ること』の交わる部分を模索しながらそれを目標に各々が進路を決め、自分たちの『道』を歩み始めました。
もともと、統廃合になりかけていた高校も、この春からは1クラスから2クラスへクラス数が増え、島の外から23人の新入生が入ってきました(島根県内生2名、県外生21名)。
(離島・中山間地域では異例のことです)
公営塾も、町長、議員さん含め、地域の方にも少しずつ認めていただく中で新しく町が土地を買い取ってくれ、新社屋を建てる運びとなってます。
新しい建物は、ピカピカの今風の建物ではなく、島の良さや島の歴史を尊重するスタンスがわかるような、外観・内装になるよう、じっくりとワークショップを重ねながら、設計していこうと思っています。
海士町の取り組みに共感し、島根県も地域の将来を担う人材育成をやっていく、と宣言してくれています。
今は島の子どものための取り組みをしながら、少しずつ県庁の方々と一緒に、島根県内の人材育成にも関わるようになってきました。
また、年度末に阿智村に行ったのですが、その時の訪問をきっかけに、阿智村の村長さんともやりとりをしています。
阿智村も、高校を存続させるために、村の方で難儀しているらしく、今後、関わりながら情報交換、交流させて欲しいと依頼がありました。
コモンビートがきっかけとなって生まれたご縁です。
今後も、中山間地域・離島の地域の未来を担う人づくりのモデルをつくれるように島のために、日本のために、頑張っていこうと思ってます。

「豊かな生活を提供し続ける」高橋政臣さん

2011年12月20日インタビュー掲載「気持ちはちゃんと受け継いでいる」
去年、インタビューを受けてから約半年、この半年の中で、廃業の危機がありました。3月31日の記録的な突風被害で銭湯が損傷し1ヶ月もの間休業せざるをえない状況になりました。休業している間も、復旧させるための資金のことや今後の事業計画、本当に続ける必要があるのかも踏まえて決断を迫られていました。
連日のように常連さんから電話をもらい『辞めないで欲しい』と言われるたびに胸が痛みました。そもそもなんで辞めてほしくないのか、色々な方に話を聞いている中で見えてきたものは銭湯が”豊かな生活”の一部になっているということ。お昼休みに飲む一杯のコーヒー、家族で食べる晩御飯、朝のランニングで朝日を見ること、日々の生活の中での”豊かさ”は人それぞれ。銭湯という空間は近所の方々のそんな豊かさの一部になっているということなんです。
『失くなっても生きていけるけど、とても寂しい』そういうものなんだなと。自分が提供しているものの本質を見極めて、経営者として事業を継続させ、豊かな生活を提供し続けることが重要なんだと痛感しました。今後は、銭湯という枠に囚われずに、喜んでもらえるような事業やサービスを創りだしていきたいと思います。