自分はこの地球で、どんな配役をいただいているのだろうか。
人間
男
大人
アラフォー
社会人
上司
部下
先輩
後輩
部長
理事長
元社長
友人
幼なじみ
卒業生
親
夫
兄
長男
保護者
子
孫
神奈川県民
愛知県出身
きっと他にもあると思うんだけど、自らの意思で付いたものとそうでないものがある。
今もこれからも、自分で配役をすることもできる。
いろいろなことが起こっているこの状況で、使命感を持って活動すれば、自分で配役を名付けることもできるし、周りの役に立つ配役になることもできる。
すべては自分次第。
自分はただのひとりの生きもの。
でもその自分には、いろいろな名前が付く。
いわゆる立場みたいなものも。
それぞれの場面で、その役割が「そのような目」で見られる。
そして他の人もそれぞれの場面で、その人をその役割の人として「そのような目」で見る。
その立場にはそれぞれが考えるイメージがあり、ひとりひとり異なる。
世間的には役割があり、期待があり、義務がある。
誰もが一人で何役もこなし、それぞれの役を全うしていく。
自分のことはわかるが、他人がそうだということはよく忘れる。
仕事で嫌な人も、家に帰れば可愛い子供にとってかけがえのないパパだったりするように。
自分の前に居る人に、何か配役を押し付けていないだろうか。
自分が思う役をやっていないことに、腹を立てたりしていないだろうか。
思った演技をしないことに、イライラしていないだろうか。
自分ができる役を、押し付けてはいないだろうか?
その人が持っている配役を、少し想像してみよう。
そう考えるだけで、少し優しくなれるような気がする。