chubu311_0922_1.jpgこんにちは。渡辺淳平(ぺーたん)です。
2011年9月22日(木)の夜、名古屋出発のバスに乗って、
23日・24日の2日間、第10陣のボランティア活動に参加しました。
この活動で出会った方々に感謝し、
「地元に帰った後、少しでも伝えて欲しい」という思いに寄り添い、
この文章を届けます。あなたの「考える」きっかけとなりますように・・・

私たちは、東日本大震災で被害を受けたところに
台風15号がさらに被害をもたらした地域で活動を行なうことになりました。
震災で70cm~1m以上地盤沈下がおこり、
台風や大潮の影響で冠水の被害がおきているといいます。
私がいた2班は大雨により家の横にある用水路の水があふれ、
床上浸水したお宅の清掃を行なうこととなりました。
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庭に積もり積もった泥を集め、土のう袋につめて縛る。
また、浸水した家具やたたみを出し、床や壁の泥をきれいに撤去する。
かなり大変な作業だが、みんなでやること、やっただけの成果見えることで
楽しく活動することができた。そのお宅はご高齢になる夫婦の家で、
お二人とも足腰が痛いとのこと。2日間の私たちの活動で元気と笑顔が少しでも戻ったように感じ嬉しく思いました。
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活動後、津波による全壊地区(女川町)を見ることができました。
そこには言葉を失う程の光景が広がっていた。基礎の部分しか残っていない住宅、
瓦礫の山、ここにあったのであろう港。
震災から半年経った今でも、津波の恐ろしさを物語る傷痕。
6mを超える大津波で小高い山の上にある病院(避難場所に指定されていた)の1階部分まで
冠水したという。復興支援で作られた道路も台風の影響で使用できなくなっていました。
それ以上に被災された方の心の傷跡はとても深いのであろうと想像することができました。
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 その夜、石巻災害復興支援協議会の毛利さんに実体験も含めて話を聞くことができました。
「がんばろう○○」ではなく自分が一番しっくりする言葉をさがし、
震災後「エンヤコーラ」を叫び続けている方だ。地震発生からの出来事を順に話してくれました。
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人が泊まる想定でない避難所(小学校)で、ひとかけらの配給クラッカーがおいしかったこと。
模造紙で教室の床に寝たこと。
実験用の塩化ナトリウムで作られたしょっぱい水の味が忘れないこと。
壊れた自宅の中で、無意識にバターを食べていたこと。
私が衝撃だったのは「自然災害に遭ったときは一人で逃げることが重要」という言葉です。
今回の津波では、周りの人を助けに戻った人が多く流されている現実があるといいます。
まず、自分が生き残ること…。
また、この震災の影響は自分たちの時代では終わらない、
つぎの次の世代まで続いていくだろうと感じていること。
だから「関係をつくる」ことが使命だと思っていること。
たくさん種をまいていきたい。多くの人に「ゆる~く、なが~く」石巻にかかわって繋がってほしいと思っていること。
興味本位でもいいから、実際に来て、見て、そして多くの人に伝えて欲しいと思っていること。
他の方からも「もうたくさんだ。自然災害で人が亡くなるのも、帰る場所がなくなるのも、それがどの地域でも。だから自分らがどう生き残って、どんな対処をしてきたかノウハウを知って欲しい」など、
沢山の話を聞くことが出来ました。
自分もボランティアに参加して被災地・被災者とかじゃなく、
人×人として「ゆる~く、なが~く」かかわっていきたいと思う。
すべてのことが「あたりまえ」ではなく「ありがたい(有難い)」ことと感じ、
感謝の心を忘れずに生きたいと思いました。