「多様な価値観を認め合う社会」からその先へ。市民ミュージカルと歩む、NPO法人コモンビートの軌跡と展望。 | NPO法人コモンビート

「多様な価値観を認め合う社会」からその先へ。市民ミュージカルと歩む、NPO法人コモンビートの軌跡と展望。

年齢・職業・国籍やバックグラウンドの異なる100人の市民が100日間でミュージカル『A COMMON BEAT(ア・コモンビート)』をつくり上げる100人100日ミュージカル®プログラム。NPO法人コモンビートが運営するこのミュージカルは、これまで全国14ヶ所以上の開催地で、のべ7,500人が舞台にあがり、25万人以上の観客数を動員し、日本最大級の市民ミュージカルへと成長しました。

2004年のNPO法人化以降、20年以上も活動が続き、運営資金の大半は自主事業の収益でまかなわれています。そんなNPOの中でも稀有な存在であるコモンビートの活動はどのように生まれたのでしょうか。創業ストーリーや、コロナ禍で休演を余儀なくされた2年間の葛藤とビジョンの再定義、そして、これからコモンビートが向かっていく未来について、理事長の安達 亮(あだち りょう、以下りょう)が語りました。

心が震える市民ミュージカル。若者たちの熱意がNPO団体を立ち上げた


ーーコモンビートの創業に至ったきっかけを教えてください。

国際交流を目的とした世界一周の船旅「ピースボート」で行われた英語のミュージカルプログラムが原点です。ミュージカル『A COMMON BEAT』を制作したアメリカのNPOに関わっていた韓 朱仙(チュソン)がプログラムを数回実施したところ、船上だけで発表するのはもったいないと感じた参加者が下船後に陸でも公演を行いました。その時に、観客から「若者の熱狂的なエネルギーに感動した」「異文化理解や平和ーをテーマにしたこの作品はもっと社会に広げていくべきだ」という声をたくさん頂いたんですね。そこで日本国内で継続的に市民が舞台に立ち、歌と踊りで平和のメッセージを伝えていくために、2004年にNPO法人を設立しました。ですので、コモンビートは、創業者の中島 幸志(こーじ)とチュソンを中心にピースボート参加者の有志で立ち上げた団体なんですよ。

2004年3月に開催した、第一期公演

ーーりょうさんとコモンビートの出会いはいつになりますか?

僕自身は、2004年のピースボート乗船中にミュージカルに挑戦したのが最初ですね。NPO法人コモンビートのプログラムには、下船後の2期から関わっています。プレイヤーとして演じることも好きでしたが、4期からは裏方にも挑戦。人づくりや組織作りへの関心や、学級委員長や部活の部長的なリーダシップ気質なのもあって、どんどんコモンビートの運営にのめり込んでいきましたね。その後、ミュージカルのプロデューサーや事務局長を経て、2014年に2代目の理事長になりました。

ピースボート船内でのミュージカルプログラムに参加しているりょう

ーーりょうさんは、コモンビートのミュージカルのどんなところに惹かれたのですか?

実は僕は大学生の頃まであまり泣かない人間だったんですけど、ミュージカルと向き合う中で、心がすごく動くようになったんです。感情を制御することなく、自然と涙が溢れ出てくる自分に驚きましたね。

舞台ではキャスト100人が100通りの人生を演じています。キャラクターに自分自身を投影しているので、その想いや声がエネルギーとなって直接観ている人に訴えかけてくるんです。誰でも参加できる市民ミュージカルだからこそ、「次に舞台に立っているのは自分かもしれない」という感覚が、観る人の感情を大きく揺さぶるのかもしれません。

ミュージカルは人や地域のつながりを生み出す装置

ーー創業後は、どのように活動を広げていったのでしょうか?

2011年3月11日に起きた東日本大震災は大きなターニングポイントとなりました。
震災報道を受けて、ピースボートと連携して宮城県石巻市での緊急支援を開始。それまでの活動で貯蓄してきた資金から311万円の予算を組み、週末ボランティア活動を実施しました。大型バスをチャーターし、12週連続で過去の出演キャストを中心としたボランティアを派遣し続けました。NPO団体として、社会のために自分たちの力と資金を使えたことに誇りを感じましたね。
震災ボランティア活動をきっかけに、「心の復興支援」として石巻でミュージカル公演が決まったことも大きな一歩でした。震災前は東京・名古屋・大阪と大都市で活動していたので、地方都市での公演は初めての挑戦でした。

石巻のお祭りでのパフォーマンス出演

ーー都市に比べると人口規模も大きく違いますよね。公演を行ってみてどうでしたか?

出演者を募ったら、地元の石巻のみなさんに加えて全国の卒業生(過去の出演者)から70名も応募があって。毎週末練習のために石巻へ足を運ぶキャストの姿に熱を感じましたね。公演当日も全国各地から観客と運営ボランティアが集まり、会場は満員状態!大成功で幕を閉じました。
ミュージカル『A COMMON BEAT』が、地域を超えた人のつながりを生み出す装置としてのポテンシャルを秘めていることを目の当たりにした瞬間でした。

そんな中、ミュージカルの持つ可能性を感じた東京在住のキャストから「出身地の福岡でも公演が出来ないか」と相談を受けたんです。東京に住みながら新エリアを立ち上げることの大変さを説明したところ、一度は引き下がったのですが、次に会った時には福岡の企業に転職していました(笑)。彼の「ミュージカルを通じて、何か起きた時に人の助け合いが生まれるセーフティネットを地元でも作りたい!」という想いが形になって出来たのが、23期九州プログラムになります。

ーーコモンビートが理由でUターン……!創業ストーリーさながら、有志で立ち上げてしまうキャストの熱量がすごいですね。

九州で初開催となった、2013年の第23期九州公演

本当にそう思います。しかし、まだコモンビートのキャストの勢いは止まりません(笑)。
九州での立ち上げを知った地方出身者の卒業生が「地元でも開催させて欲しい!」と直談判してきたんです。福井・群馬・鹿児島・岐阜・静岡・秋田・愛媛……と、あっという間に全国に広がっていきました。
さらに、フランチャイズ型の新しい試みとして、福井や新潟のように地元団体と共催するケースも生まれました。コモンビートは“個性が響きあう、多様な価値観を認めあえる社会”を実現するために、全国各地のひとりでも多くの人々に届けていきたいと考えているので、特定地域に根差した活動を行う団体との連携は相性が良く、地域経済を循環させるという意味でも前向きな拡大だと考えています。

ーー卒業生という「とある個人の想い」を起点に、ミュージカルがすごい勢いで全国に広がっていったのですね。

同時に、ミュージカルを起点に、よさこいプログラム『お祭りビックバンプロジェクト』、都市と地域の交流事業『もざいくプロジェクト』、学校訪問を行う『スクールプロジェクト』など、他事業も展開しました。

また、活動のステージは海外にも広がり、国際交流事業『アジアンビート』や、2015〜2018年には日韓ミュージカルプログラムを3度実施しました。

韓国での公演パンフレット

具体的には、国内プログラムの卒業生が月に1回ソウルに通いながら、韓国市民と一緒に歌って踊って作品をつくるという内容です。当時の日本と韓国は緊張感もある関係性だったのですが、市民と市民であれば違いの壁を超えてつながりあえることを実感する機会になりました。

「ミュージカルは手段」コモンビートのビジョンを見直す機会になったコロナ禍

ーーリアルな舞台・空間を要するミュージカルをメインに活動を行ってきたコモンビートの歴史を語る上で外せないのが、2019年末から広がったパンデミックの存在だと思います。2020年3月頃〜2022年12月までの約2年間はミュージカル活動を休止をしていますが、当時はどのような心境でしたか?

新型コロナウイルスの流行は、エンターテイメント業界、特に人が直接集まらないと成立しない舞台芸術においては、大きな問題でした。当時はソーシャルディスタンスや三密という言葉が叫ばれていましたが、ミュージカルはどうしても身体的接触を避けることが難しい活動ですから……。
これまでコモンビートは、団体のテーマでもある「ダイバーシティ&インクルージョン(以下、D&I)」の考えをミュージカルの舞台を通じて社会に伝えてきました。しかし、パンデミックによりその手段を奪われてしまった。自分たちのアイデンティティでもあった表現活動が突如絶たれて、とても苦しかったですね。

一方で、強制的に活動の中止を余儀なくされたことで、「ミュージカルが出来なくなったコモンビートの存在意義とは何か」にじっくりと向き合う機会になりました。
それまでミュージカルの活動が全国で順調に回っていく中で、「このままミュージカルを続けていくだけで良いのだろうか」「それでビジョンの実現に近づいているのだろうか」とふと感じたこともありました。ですので、活動休止期間を通じてビジョンや価値を改めて見つめ直すことで、アフターコロナにはアップデートしたコモンビートを社会に届けていくんだという決意を固めることが出来ました。

ーー実際のコロナ禍での動きを具体的に教えてください。

世の中で不要不急とされてしまったエンターテイメント。それでも市民の表現の機会を保つため、まずはオンラインで表現の場をつくり始めました。「表現活動を止めるな」を合言葉に、オンライン公民館『表現ひろば』、オンライン演劇『Cplus』、そして、国際交流プログラム『Jump in 週末留学』なども開発。そうして活動を続け、2020年末には『#ふんばれコモンビート』クラウドファンディングを実施し、卒業生を中心に845名の方から10,599,155円のご支援をいただきました。これらの取り組みを通じて過去の仲間とのつながりを実感し、そして、同時にこのような豊かな仲間を生む活動をやめてはならないという想いが一層強くなりました。

初のオンライン表現プログラム「Cplus」には、全国から約70名が参加した。

また、D&Iに関する研修やプログラム等をオンラインで開催し、社内外で「多様さ」を追求し、語り合う機会を持ちました。D&Iの解像度が高くなるにつれて、自分たちが行ってきたミュージカルの感動をまだ分かち合えてない人たちがいることに気がつきました。そこで新たに「Musical For All」を掲げ、障がいの有無なども問わず、あらゆる人がミュージカルの参加と鑑賞を楽しめるようにアクセシビリティの整備に着手しました。視覚や聴覚に障がいがある方への観劇サポートから取り組み始めましたが、現在ミュージカルを享受できない環境にあるすべての人がミュージカルに関われる基盤づくりを目指しています。

その土壌が広がったことで、同時にコモンビートのビジョン(コモビジョン)もアップデート。これまではD&Iを推進してD&Iな社会(多様な価値観を認め合える社会)を実現することを目的に活動していましたが、新たに“ウェルビーイング※をD&Iで目指す”という結論に行きつきました。つまり、D&Iを手段にするという発想です。

※ウェルビーイング(Well-being):身体的・精神的・社会的に良好な状態にあることを意味する概念。ハビネス(Happiness)とは違い、“持続的に”満たされた状態を指す。

ーーD&Iを手段にするとは……?

ウェルビーイングのためには、一人ひとりの違いがその人らしさとして発揮されるような、「多様な価値観を認め合える社会であること」が前提として大事だと思っています。
なのでコモンビートが伝えたいのは、「お互いの違いを認め合えたら、もっと豊かに生きられるようになって、ウェルビーイングにつながるよね」という考え方です。

ーーなるほど。では、どうしたら「互いの多様さを認め合う」ことができるのでしょうか?簡単なことではないと考える人もいるかもしれません。

まずは、自分を知ることからすべてが始まると思います。自分を知らないと、他人との違いに気づくことができませんからね。
そして、自分らしさを手にいれる手段のひとつが、ミュージカルプログラムへの参加だと考えています。コモンビートのプログラムは、単純な歌やダンスの練習だけではありません。自分自身を体を使って表現すること、年齢や職業や価値観も異なる仲間と対話すること、何千人のお客さんを前に自分をさらけ出すこと……その全てが“自分を開く”ワークショップになっています。扉が開くと、以前よりも他者を受け入れることが容易になり、ありのままの自分を社会でも表現できるようになります。自分らしく生きられるって、とても豊かで、ウェルビーイングな状態なんですよね。

ミュージカルの練習では、歌・ダンス・芝居の時間以外にも対話やワークショップの時間も多い

ーー自分を知るためのさまざまな機会が用意されているんですね。D&Iに触れたキャストはどのように変わっていく可能性があるのでしょうか?

十人十色ですね。表情やコミュニケーションが柔らかくなったり、性格がオープンになったり、働く環境を変えた人もいました。
何よりもコモンビートを通じて多くの人と出会い、誰よりも多様さに触れている僕自身が日に日に豊かになってきていると感じるんです。他者と分かり合えないことも含めて、多様さを面白がることが出来るようになりました。こんな自分に育ててくれたコモンビートとの出会いにとても感謝しています。だからこそ、活動を通じてたくさんの人にD&Iの先にある豊かさを知ってもらいたいですね。

キャストが関わり続けていきたいと思える環境と仕組みづくり

ーーコモンビートは、キャストを経験した後に、プログラムや公演の運営を支えるスタッフへ転身が出来るなど、ユニークなコミュニティですよね。彼らがコモンビートに関わり続けていきたいと思える理由は何でしょうか?

いくつかの要素があると思います。
ひとつ目は、余白が多い運営にしている点。あえてマニュアル化しすぎないようにしているので、役割に応じて自分で考えて動くことができるんですね。チャレンジできる環境の方が、達成感がありますし、他者とコミュニケーションをとる必要が出てくるので、D&Iを感じやすいんだと思います。

ふたつ目は、恩送りの流れがあること。自分が受けた善意に感謝を感じたら、それを他の誰かに渡すことで、その先につないでいくという概念です。たとえば、ミュージカル『A COMMON BEAT』の公演は100人を超えるボランティア(通称ウェルカムキャスト)によって支えられています。多くの人の助けによって舞台に立っていることに感動したキャストが、次の公演ではウェルカムキャストとなっているという循環は珍しくありません。
このエネルギーの流れは、創業時から続いています。プロ団体ではなく市民ミュージカルだからこそ、誰でも両方の立場を体験することができることが、コモンビート独自のカルチャー形成につながっていると感じています。

毎公演に全国から100名以上のボランティアが集まる

また、さまざまな関わり方が出来て成長できるように設計していること。
ウェルカムキャストの中でも、各部署のリーダーや全体のディレクションに関わる役割など、様々なステップアップのポジションがあります。また、ウェルカムキャストのような最短1日のボランティアから、準備期間含めると約1年運営に関わるコアスタッフまで、多岐に渡るキャリアパスが用意されています。

最後になんといっても「仲間」の存在ですね。同じ舞台に立ったという共通体験を持った仲間、それは友達でもなく知り合いともちょっと違った、特別なつながりです。同窓会的な組織ではなく、それぞれのタイミングや方法で自由に関われる環境が、ゆるく長くつながり続けてもらえる秘訣でしょうか。


ーー最後に、今後コモンビートがチャレンジしていきたいことも教えてください。

ミュージカルで生まれた良いエネルギーを社会に接続していく仕組みづくりに取り組んでいきたいです!
活動が立ち上がり全国にミュージカルが展開していった第一創業期、そして、コロナで立ち止まって改めてビジョンに向き合った第二創業期、そして、今コモンビートは第三創業期を迎えようとしています。

たとえば、たくさんの仲間が全国各地にいることは僕らの大きな財産。これまで卒業生と積極的にタッチポイントを持てずにいたのですが、今後は彼らがやりたいことを実現できる機会をミュージカル以外でも作りたいですし、社会に向けて新しいコモビジョンのメッセージを共に発信していく存在になれたら嬉しいですね。他にも、公演会場を起点に地域を盛り上げる構想も描いています。そのためには、自分たちだけで活動を完結させず、様々な企業や団体の方とも積極的に手を取り合っていきたいと考えています。


社会のさまざまな変化や状況に適応して活動や体制を変化させてきたコモンビートですが、第三創業期は自らの意思で変化を選ぶ大きな起点になりそうです。ビジョンもアップデートさせて挑むこれからのさらなるチャレンジにもぜひご期待ください!

ーーありがとうございました!