僕らは予測不能な社会に生きている | NPO法人コモンビート
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僕らは予測不能な社会に生きている

未来は誰にも予測できない
僕らは、自分の未来を想像することはできるが、社会の未来を予測することはとても難しい。
社会は、人間が誕生してから長い年月が積み重なったものであり、とても多くの要素が絡み合い絶妙なバランスで成り立っている。
地球がそもそも奇跡といえるほど絶妙な仕組みで成り立っているのだから、人間社会はその中のちっぽけな世界にすぎない。


誰がこの震災を予測できただろうか。
そうして原発問題は回避できなかったのだろうか。
もちろん、学者や評論家はあらゆる可能性やデータを用い、可能性を訴えてきたことだろう。
「地震はいつ起こってもおかしくない」
「原発はそもそも無理があった」
「だから言ったじゃないか」
そう言うことは簡単だが、それを許してきた僕ら国民にも一定の責任はあるし、第一、国家レベルで予測ができなかったということなのだろう。
どんなに最先端の技術を集結しても、経済は揺れ動き、震災は必ず起き、人災も完全には防げない。
こうしたことを完全に無くすという発想は、地球に住まないことを意味するが、火星だからといって別の問題が起こるだけなのだろう。
では、僕らはどうやってこの予測不能な社会を生きていくのだろうか。
答えはシンプル。
「予測不能だと思って生きる」ということ。
天気予報があり、緊急地震速報もあるし、景気予測する専門家もいれば、占い師もいる。
でもすべては完全ではない。
人は完全ではないし、社会は完全ではない、地球だって完全ではない。
だからこそ人は進化するし、技術はその不完全さを補ったり予測したりする。
「完全なものが全くない世の中」なのだと思えば、何があっても不思議ではない。
そして何が起ころうが、その世界を生きていくことには変わりがないのだから。
未来を予測することは難しいが、より良い未来を想像することは誰にでもできること。
未来を悲観してしまうようなことが多い世の中だが、どんな社会が来ようが、生き甲斐や楽しみは見つけられるはず。
災害を受けた友人も、障害を持った友人も、病気を患っている友人も、破産をした友人も、、、、
みんな、今という社会に臨機応変に対応し、社会も自分を受け入れ、楽しんで生きている。
予測不能な社会。
まだ来ぬ未来を予測して悲観するよりも、今という時間を楽しんでいきたい。
それは自分次第なのだから。