子育てをして一年。
学び多き時間。
子育てにもいろいろな共育を感じます。
1歳を過ぎると、いわゆるイタズラに拍車がかかってきます。
戸を開けたり、ゴミ箱を倒したり、ティッシュを全部出したり、ご飯を手で粘土のように遊んだり・・・
大人から見ればイタズラも、子どもにとっては興味でしかありません。
彼は何も知らない、それだけなのです。
そしてまだ叱ったところで、あまり意味を持ちません。
親のイライラを解消させるだけのことでしょう。(解消しませんが。)
今は、彼の好奇心と生きることの楽しさを十分に感じる時間です。
子育ては、古代から今まで、そして未来にも続いていきます。
そう、自分も「そんな状態」だったのです。
きっと、相当「やんちゃ」をしていたのでしょう。
僕は覚えていませんが、とっても大変だったようです。(笑)
だから、今は僕に役割が回ってきただけのことです。
自分がそうであったように、自分もできるだけのことをしてあげたいと思います。
きっと大変でしょうが、それも学びです。
それが、順番を受け継いだ人の役目であり、自分の親としての接し方が、未来に繋がっていくことでしょう。
未来をつくるというのは、こういう形でもあるのだと感じます。
親子という関係もまだ1年。
彼との間には、まだ本能的な関係はあっても、信頼と呼べるようなものを築く時間は経っていません。
共に育んでいく時間の中で、体験や経験があることでしょう。
子どもは自分ではないから、コントロールできるものではありません。
それは大人になってからも同じで、他人をコントロールしたり変えることはとても難しいことです。
子育てをしていると、大人の世界で起こっている様々なことの原点を感じます。
共に学び、共に育む大切さを。
何か新しい学びを探さずとも、毎日が新しい学びの連続です。
何か新しい楽しみを探さずとも、毎日が新しい楽しみの連続です。