私ごとになりますが、先日、2010年8月6日に第一子が誕生しました。
多くの皆様から励ましと祝福のメッセージを頂きまして、ここにお礼申し上げます。
当日の様子は個人のブログで書いておりますので、そちらをご覧ください。
この体験を通じて、様々な気づきがありました。
人もコモンビートもそうですが、誕生は自分の力でできることではありません。
誕生には自分以外の助けが必要です。
ですから、誕生には理由があり、1つ1つ異なるストーリーが存在します。
人間は太古から子孫を残した結果、私たちがあり今日があります。
私たちは、今日、突然ここに存在しているのではない、ということです。
でもそれを忘れがちです。
また人間だけでなく、生命の営みはすべての生命の共通です。
私たちはそうした地球の仕組みの中で命を育んでいるのです。
人だけが特別な存在ではないのですが、これも忘れがちです。
そして、コモンビートのような団体でさえ、1つの生命のようなものです。
人が作ったものですからよく似ています。
法人というしくみにも「人」という字が入っているように、人として扱っているのです。
コモンビートも産まれるまでには様々なストーリーがあり、理由があります。
誰が産んだのか?という問いには、「社会が必要として産んだ」と答えます。
誰かひとりのチカラで産むこともできなければ、ひとりのチカラで育つものでもありません。
団体にとって私たちは、細胞であり臓器であり、1つ1つの遺伝子であり意志です。
だから愛着も湧くので、とても人間と似ていると思います。
ただ、決定的に1つだけ違うことがあります。
「寿命がない」ということです。
永遠に生き続けることも可能なのです。
子どもの顔を見ていると、「自分もこんな存在だったのか」ということを知ります。
放っておけば自分で生きることはできません。
無力です。
今となっては自分の意志で動くことができますが、それも、いろいろな人の支えがあってのことです。
今の自分は、自分だけのチカラでできあがったものではない、ということですね。
言葉では表しがたい、感謝の気持ちでいっぱいです。
それに気づけただけでも、とても嬉しいことです。