最近の私は、いやなことがあると、それを川柳にしてしまう。
そうすると、なんだかその感情が自分から離れ、客観的な「ネタ」となり、気分がスッキリする。
「理不尽に 耐えることこそ 修行かな」
「雨宿り 本屋で立ち読み 心晴れ」
「あなたって いつも説明 不十分」
「ケンカして 仲直りして ケンカして」
昔から人々は、生活の中の喜怒哀楽を歌にしたり、詩にしたり、絵にしたりしてきた。
作品が自分の感情の「納まりどころ」だったのだろうか。
それともそれを通して「共感」を求めたのだろうか。
いずれにせよ、文芸のおかげで私も自分の喜怒哀楽をコントロールできていると思う。
時代を超え、国を超え、先人たちと「共感」し合えるのは、とてもありがたいことだ。
本当に、この世にいる人ともいない人とも、何かとつながってるんだなぁ。