「ありがとう。」
言われると嬉しい言葉、言うのも嬉しい言葉です。
感謝の気持ちを表す言葉だから、伝えることはとても大切ですね。
でも、その一言では伝わらないくらい、たくさんの感謝が言葉の裏側にあります。
感謝は伝える側と受け取る側があります。
「おい、感謝しろよ!」
と言われたら、感謝している自分に何だか冷めてしまいます。
「感謝なんていいです」
といわれたら、もっと感謝したくなったりします。
でも人は、感謝してほしいので、「感謝して!」と間接的にアピールすることがあります。
「本当は感謝されるはずなのに。」「あの人は感謝されて私にはされない。」と思う人もいます。
言葉での感謝には限界があります。
心の中で感謝していても、伝えられない場合もあります。
感謝しなければならないような人がいるのに、知らない/気づかない場合もよくあります。
「あ、ごめん。ありがとう。」みたいなことはいっぱいあります。
感謝をいくらしても、十分といえるような状況は訪れません。
感謝できるタイミングもすぐに訪れるとも限りません。
単に「感謝しないと!」と思い続けても、気づかれしてしまうだけです。
・ 伝えられるときに感謝する。
・ 気づいたら、感謝する。
・ いつもすべてに感謝する。
できるときにしましょう、という方法が一番いいですね。
もし自分が感謝をされる側であったとしても、
・ 決して自分だけが感謝されているのではない
・ 感謝される対象の代表として言葉をもらっている
・ 100回のうち1回のご褒美
と考えるのがいいかもしれません。
「コモンビートを作ってくれてありがとう」 とよく言われます。
でもどうでしょう?
作ることは、続けることに比べたら、限りなく簡単なことです。
人にはタイミングがあります。
僕がそこにたまたま居たからでしょう。
たまたま居て、自分にできる役割がそれだったからでしょう。
本気でそう思っています。
「オレが作ったんだ。あっはっはー・・・」なんて、微塵も感じません。
僕が居なくとも何らかの活動は進めていたでしょうし、今よりすごい団体になっていたかもしれません。
それは誰にもわからない。
でも、現状に感謝されることは嬉しいし、今日という日までコモンビートを支えてきた人の代表として言葉を有り難く受け取っています。
感謝する気持ちと、感謝される気持ち、それぞれどうしたらいいか?
僕は感謝の気持ちは未来に向けていきたいと思っています。
もっと素敵な活動をして、感謝したい人に「よかったね」って言ってもらいたいし、
感謝してくれる人には裏切らずにその気持ちをずっと持っていてほしい。
目の前の見える感謝は、未来を作る原動力になります。
でも、それに囚われちゃいけない、しがみついてもいけない。
感謝は期待
未来で返していくことが、本当の恩返しですね。