大人を信じられなかった僕が、人の可能性を信じて“表現の場をつくる”理由 | NPO法人コモンビート

大人を信じられなかった僕が、人の可能性を信じて“表現の場をつくる”理由

2004年の創業から100人100日ミュージカル®プログラムを中心とした表現活動を通じて、人と人とのつながりを育んできたNPO法人コモンビート。2025年4月には、共同代表制とCxO制を導入し、代表理事 兼 CCO(Chief Commons Officer)に河村 勇希(ゆーき)が就任しました。彼が新たに立ち上げた「コモンズ事業」は、地域や教育の現場とつながりながら、共創の可能性を広げる挑戦でもあります。
これからの社会に求められる、“自己表現できる場”とは一体何でしょうか。そして、コモンビートが「個性が響きあう社会」を目指し、ミュージカルの枠を超えた表現活動にチャレンジするに至った理由とは。
「過酷な環境でドライになっていた自分がコモンビートに出会って変わったんです」と笑って話す18歳当時の原体験と、その背景にある想いについて話を伺いました。

「こんな大人がいるなんて」“表現の力”に救われた18歳

ーーこれまでのキャリアや、コモンビートとの出会いについて教えてください。

ゆーき:最初に関わったのは、2013年の23期九州。僕は当時18歳で、大学に上がる年でした。年子の姉2人が体験会に行くというので、なんとなくついて行ったのがきっかけです。

実は高校時代、野球部での厳しい環境や文化に悩み、自分を見失いかけていた時期がありました。「大人って、なんだか遠い存在かもしれない」と感じることもあって…。そのうえ交通事故にも遭い、学校にも満足に通えないような状況でした。そんなタイミングで出会ったコモンビートの大人たちは、僕が知っていた“大人像”とはまったく違っていたんです。

体験会の時、松葉杖だったのでダンスとかはできなかったんです。ただみんなで合唱をする時間やグループで今日感じたことをシェアする時間には参加していました。その時に、「上手い・下手」でも「正しい・間違ってる」でもない、自分の中にあるものをただそのまま出す感覚の新鮮さと、そのアクション自体を肯定してくれる大人がいたことに衝撃を受けたことを今も覚えています。

部活を通じて「結果がすべて」という価値観に染まっていた自分にとって、ただ参加しただけの自分が、誰かにとってこんなにも温かく受け入れてもらえる存在だったことに、驚きました。そして同時に、「こんな大人が集まる場があるんだ」と価値観が大きく揺さぶられる体験でもありました。

その後も、「この人たちの熱量すごいなぁ」と思いながら、同時に「さすがに、全員が全員生まれた時から、こんなふうに自分らしく振る舞える性格じゃないだろう」と冷静に見ている自分もいました。その答えが知りたくて、稽古に通っていましたね。

ーーなかなかインパクトの強い出会いですね…!その答えは見つかったのですか?

何が人をそうさせてるんだろう?と考えたときに、コモンビートのコミュニティの“空気”や“場”そのものが、人に影響を与えているんだと気づいたんです。

「表現=パフォーマンス」が土台にあるからこそ、人と人がフラットに関われる。ぶつかることもあるけれど、生身の人間同士がリスペクトし合いながら向き合える。関係を築ける。そのことに感動して、「この活動をもっと広げたい」と思うようになり、キャストや演出助手として関わるなかで、さらに深く学びたいという願望が湧いてきたんです。その結果、パフォーマンスと教育に力を入れているアメリカに、学びに行くことを決意しました。

ーーそこで出会ったのが、『ヤング・アメリカンズ(The Young Americans)』だったんですね。

その通りです。世界中を旅しながら、歌やダンスを通じて子どもたちと関わるNPOのパフォーミングアーツ団体『ヤング・アメリカンズ』のオーディションに合格し、3年弱活動しました。各地でホームステイを繰り返しながら、移民コミュニティや少年院なども訪れ、音楽を通じて子どもたちの笑顔や可能性を引き出す。その体験は、僕にとって「自分の核に出会うような時間」でした。

ーー帰国後はどんな活動を?

ボストンで『Yume Wo Katare(夢を語れ)』というラーメン屋を営んでいる知人に「君はどんな夢があるの?」と聞かれたとき、自然と浮かんできたのが、コモンビートでの体験、出会った人たち、そして「パフォーマンス」「教育」「コミュニティ」というキーワードでした。帰国後は、大学で「表現活動を通した人間力の育成」をテーマにプログラム開発や講師を務めながら、教育の理論と実践の両面に取り組んでいました。

そんな活動を知った、代表・りょうから声をかけられ、何度も対話を重ねるなかで、「表現活動に込めた思いや、信じている未来」が重なっていると感じ、2018年に理事になることを決意しました。

理事からCCOへ。“個性が響きあう社会”を広げる、コモンズ事業という新たな挑戦

ーー理事時代から現在の代表理事 兼 CCOに至るまでの背景を教えてください。

理事として関わるなかで、「コモンビートが社会にどんなインパクトを与えられるのか」を強く意識するようになりました。コモビジョンの策定や研究室の立ち上げを通して、「今ある価値をどう次世代や社会に届けていけるか」を考える機会が増えていったんです。

もちろん「100人100日ミュージカル®」は、コモンビートを象徴する大切な活動です。しかしあるとき、「子どもや若者、あるいはミュージカルに関わっていない人たちには、この価値をどう届けられるのだろう?」という問いが芽生えました。

ならば、自分がアクセルを踏む側に立とう。そう決めて、2025年4月に共同代表制とCxO制を導入し、代表理事 兼 CCO(Chief Commons Officer)として「コモンズ事業」を立ち上げました。

ーー「コモンズ事業」とはどのような取り組みなのでしょうか?

僕たちの代名詞とも言える活動「100人100日ミュージカル®」は、あくまで「個性が響きあう社会」を目指すための一つの形にすぎません。これからは、「表現活動を通した学びの場」を、ミュージカル以外の形でも、よりたくさんの対象に向けて地域の中で広げていきたいと思っています。そうした想いから生まれたのが「コモンズ事業」です。
たとえば、近年教育者の減少や学校現場の負担増が深刻化しており、地域ぐるみで子どもたちを育てる「地域教育」に注目が高まっています。コモンビートがこれまで育んできた価値を、地域や教育の現場に届けていきたいですね

ーー活動を広げるにあたって、どのような構想をされていますか?

21年間で貯まってきたコモンビートの知的財産は、私たちの大きな強みです。ただ、私たちだけで届けられる範囲にはどうしても限りがあります。だからこそ、これからは同じ志を持つ企業や団体などのパートナーと手を取り合いながら、「個性が響きあう社会」をより広く、深く、共につくっていきたいと考えています。

「コモンズ」という事業名には、「共有財・共有地」という意味があります。私たちの培ってきた知見やノウハウを多様なステークホルダーと共有し、新たな価値や活動を地域に根ざして生み出していく。そんなチャレンジをしていきたいです。

ー協働パートナーにとって、コモンビートと一緒に活動する利点は何でしょうか?

何よりも、コモンビートの最大の強みは「安心して自分らしく表現できる場」をつくり出す力にあります。この場は、これからの多様性や共創が求められる社会において、ますます重要になると確信しています。

協働するパートナーの皆さまには、コモンビートの場づくりのノウハウやコミュニティづくりの経験を活用しながら、地域の社会課題の解決に役立てていただけます。具体的には、アウトリーチ活動として、コモンビートが持つ表現活動を通した学びの場と、自分らしく表現する楽しさを伝えることができる熱い大人・ミュージカル経験者を届けることができます。単発のワークショップ提供から、長期的に団体や学校と連携しながら提供するプログラムまで、さまざまな形で我々の活動を届けていきたいと思っています。共に活動することで、新しいつながりやイノベーションが生まれ、組織や地域の可能性を広げる機会が増えることも大きなメリットだと考えています。特に、地域活性化や地域人材育成に関心のある地元企業・団体とは相性が良く、一緒に取り組むことでより大きな価値を創り出せると思います。

葛藤と向き合いながらも、信じた道を進む“強さ”の源泉

ーーゆーきがコモンズ事業を牽引していく想いの強さの根源は、どこから湧いてくるのでしょうか?

どうしても切り離せないのが「教育」という軸です。
自分のなかには、“教育者マインド”があると思っています。自分自身や、周りの人の人生をもっと面白くしたいという気持ちがある。おせっかいになりすぎない、でも放ってもおけない。そんな関わり方が、僕らしいスタイルなんだと思います。

目の前の満足よりも、5年後、10年後に「出会えてよかった」と思ってもらえるような関わり方をしたいですね。少し先の未来を一緒に見ながら、寄り添っていく。そんな姿勢を大切にしています。

ーー相手の未来を想いながらコミュニケーションをとるのは、簡単なことではないと思いますが、そう考えるようになったきっかけがあるのでしょうか?

印象的に残っているのは「ヤング・アメリカンズ」の活動で、ドイツでの3日間のワークショップです。参加していた子どもたちの中には、最初から踊りたくないという子もいて、アジア人への差別を感じることもありました。しかし、その3日間、僕たちはただただ子どもたちと向き合い続けました。たとえ踊らなくても、ステージに立たなくても、一人ひとりの心に寄り添う時間でした。

結果として、最後まで舞台に立たなかった子もいました。でも3年後、その子の親から僕の友人にメッセージが届いたんです。「結婚して子どもができました。その子の名前を“ダニエル(友人の名前、仮称)”と名付けました。あのとき、まだ人の愛情や優しさに素直になれなくてステージには立てなかったけれど、本当は嬉しかった。あんなに真剣に向き合ってくれた人は初めてだったんです」と。

その言葉を聞いたとき、「あぁ、あの時向き合った時間は自分の無駄じゃなかった、未来につながってたんだ」と思えたんです。その瞬間は苦しくても、何年か経ってようやく昇華されていくこともある。その時こそ僕にとって、とてつもなく幸せな瞬間なんだと思います。

コモンズ事業も、関わる人や地域の可能性も、すぐに成果が出るものではありません。だからこそ、いつかまた帰ってくると信じながら、長い時間をかけて向き合っていく。あの時の経験が、今の僕を動かす「勇気」になっています。

今こそ、“扉をひらく”とき。仲間と共に、表現の力で社会を変えていく

ーー最後にメッセージをお願いします。

コモンビートは、「今の社会に本当に必要な感性を持った、熱い大人たちが集う、日本でも稀有な団体」だと思っています。正直、いわゆる優秀な人がいる団体はたくさんあります。しかし、 “人間らしく、まっすぐで、熱い大人たち” が、こんなにも長く増え続けている場所って、そうそうないはずです。

コモンビートのような、“人が集い、安心して自己表現できる場”は、これからの社会にますます求められると感じています。だからこそ、その価値を次の世代へと受け渡していきたい。そんな想いが、自然と自分の中に湧き上がってきました。そして今、それをかたちにしていくのが「コモンズ事業」です。

これまで僕は教育者として大学などで、「自分軸を持って生きることの大切さ」を伝えてきました。頭ではメッセージを理解していても、実際には「どう動けばいいかわからない」「一歩が踏み出せない」という声を多く耳にします。だからこそ、まずは地域や教育の現場とつながり、誰もが安心して自分を表現できる場を、一緒に育んでいきたいと思っています。

18歳だった僕を変えてくれたのは、コモンビートにいた、あの熱い大人たちでした。
今度はその背中を、僕がその仲間たちと共に、子どもたちや地域に向けて見せていく番。
一緒に、これからの社会を面白くしていきましょう!